こぼれ話

いわゆる毒親というやつとの距離感を考える

Relationship

こんにちは、まーるです。

(音声版はこちら↓)

メンタルの疾患にかかるのは、頑張りすぎてしまう人、自分より他人を優先してしまう優しい人、我慢しすぎてしまう人などと言われたりしますが、私はどうにもそれには当てはまりません。
むしろ私の悩みは「頑張れない」事でした。

何事にも一生懸命になれないんですよね、昔から。
もっと頑張ればカタチになりそうだぞという時に、思いっきりブレーキをかけてしまう。恋愛も、仕事も。
将来設計なんてどこ吹く風で、刹那的に生きていました。
あげく、そんな自分が嫌でした。
嫌なら変わればいいんだけどね、そう簡単にいかないのが人生というやつでして。

いや、変わるのは簡単だと思うんですよ。個人的には。
私はパニック障害になったおかげで、人生観が180度に近いぐらいガラリと変わりましたから。
でも、きっかけと出会うのが難しいというのか、まあタイミングというやつですよね、きっと。うん。

ともあれ、私がメンタルの疾患になった原因は、よく言われる「頑張り過ぎ」とは真逆の「頑張りたいのに頑張れない」というやつでした。
それがストレスになるというのも変な話ですが、実際のところストレスだったんですよね。
テキトーに人生を過ごしている自分につくづく嫌悪していたんです。

とまあ、そんな事を音声配信で話したのだけど、その後改めて考えてみたんですね。
そもそも何故、頑張れないのか。
勝負どころで何故逃げてしまうのか。

で、やっぱり一番の原因は、親との関係性だろうなーと。

「毒親」とやらの概念がすっかり浸透している昨今、私自身は毒親の定義に明るくありません。
ただでも、私の両親もいわゆるそっちの気はあったんだろうと思っています。

両親が不仲だったので、私が思春期の頃なんかは特に両親ともにずっと不機嫌でした。
すべてが地雷、みたいな感じ。自室にいてもどこにいても何故だか責められたりして。
ずっと母親の愚痴の聞き役でもありましたね。父親に対する悪口をひたすら聞かされ続けた思春期だった気がします。
何のために生まれてきたんだろうなあと人知れず考える事もありました。
ですが、思春期とは誰もがにわかに哲学めく時期でもあるでしょうから、生きる意味みたいな事はみんな考えていたかも知れませんね。

そんな思春期が私の性格形成にどう影響したかは分かりませんが、なんだかんだでメンタルよわよわ&承認欲求強めな私ができあがりまして。
挫折や失敗を避けてヘラヘラ生きていく道を無自覚に選択してしまったのだろうと思います。
毎日真綿で首を絞められて密やかに傷ついていた感じだったから、もうこれ以上傷付きたくないって思ったのかな。
ま、あくまで自己分析なのでアレですが。

ちなみに、今はずいぶん健やかです。私も両親も。
関係は良好で、一緒に旅行に出かけたりもします。
大人になったんでしょう、お互いに。
でも、いまだに素の自分を見せることはできませんね、両親には。もうそれでいいかと。
本心をさらけ出しあえる関係性を築かねば、というこだわりはもうないです。
諦め、というのではなくて。ちょっとだけ達観した感もあって。
まあ、穏やかにやっております。はい。

メンタルの形成にはやはり親との関係が大きなウエイトを占めるものだと思うんですよね。
関係性が健全でなかった場合には、どうしてもひずみは出てしまうのだろうなと。

みなさんはどうでしょうか。
親と対峙している自分に、屈託のなさはありますか。それとも何かを避けるために取り繕っていますか。
屈託のない自分で過ごせるのは確かに平和な事だと思いますが、でも、必ずしもそれが正解というわけではないのじゃないかなとも思ったりします。
どんな関係性であれ、自分が苦まずに済む「適度」な距離感を模索すればいいのかなと。
そして、親の前でなくとも、別のどこかで「屈託のなさ」を表現できる場を開拓できたら素敵ですよね。
などと思ったりしている今日この頃です。

管理人がクリニックの先生にオススメしてもらった本。パニック障害の基礎情報と治し方を知るのに最適です。

管理人まーる

パニック障害を克服した元商業ライター現医療機器系OL | 上級心理カウンセラー(民間)| 80年代生まれ | 旅行大好き | 乗り物・フルタイムのお仕事OKすこぶる元気 | 服薬・通院はしなかったためお薬には疎い

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