認知行動療法

「病気は治すもの」というのは最適解なのか?

choice

こんにちは、まーるです。

(音声版はこちら↓)

いきなりですが私は5キロ痩せたいと常々思っています。
ロバート秋山氏の「願い」って歌、知ってます? TVの企画か何かでやってたやつで、「わたーしはー、体重ー、4キロ落としたーいー」で始まるやつ。いや、なんかふと思い出しました。今調べたらSpotifyに普通に入ってて爆。

ま、ともあれ私は5キロ落としたいのです。かれこれ2年ぐらい前からずっと思っています。
アラフォーになって代謝が著しく落ちたんですよね。同じもん食べてるのに太ってきたんですよ。せちがれーぜーー
痩せるには食事制限と筋トレの組み合わせが良いと聞いて、何度となくチャレンジするのだけど、そのたびに挫折して今に至るわけでして。

根性が足りないとか根気がないとか言われがちですが、実際のところはそういう事じゃないと思ってます。
「痩せたい」よりも別の欲求があって、そっちを選択しているだけ。

へりくつみたいにも聞こえますが、心理的にはバッチリ的を射ていると思います。
「すべては自身の選択である。」
これはアメリカの精神科医ウィリアム・グラッサー博士の「選択理論」から学んだ事です。
私がパニック障害だった当時、博士の著書を読んでポンと膝を打ったんですよね、眼から鱗が落ちたというか。
つまり「痩せたい」と思っているのは事実だけれど、それ以上の欲求があって結果的にはそっちを選択しているという。

一応、私が読んだ本を紹介しておきますね。
すんごい分厚い本ですが、ご興味ある方はぜひ。私の価値観をガラリと変えてくれた本です。

パニック障害・不安障害にも同じことが言えると思います。
ダイエットに比べて切実さは桁違いですが、心理は同じかと。

「治したい」と願っている。だけど治す方法を実践しない。
そういうケースはツイッターを眺める限り、決して少なくはないと感じます。
そして、それらもまた根性が足りないとか意志薄弱だとかそういうことではないだろうと。
「治したい」以上の欲求があって、そっちを選択しているだけに過ぎないのだと。

もう一つの欲求とは何なのか。
それはきっと人それぞれなのだろうけれど、共通して言えるのは本人が無自覚であることですよね。
もう一つの欲求に自身が気付いていないから、自分が「治す」という選択肢を選んでいない事にももちろん気付いていない。

あと、すごく個人的な推察なのだけど、本当は「治したいわけじゃない」のに「自分は治したいに決まっている」と信じ込んでいるケースもわりとあるのじゃないかな。

そもそも大前提として、疾患を抱えるあまねく人たちにとって「治す」事が最適解ではないというのはあると思っているんですね。
個人個人、事情も違えば置かれた環境も違うわけで、「疾患と共存する」という選択肢も当然ながらあって然るべきかと。それこそ本人の選択次第なわけだから。

でも世間一般的には「病気は治すもの」であり、皆一様に「完治」をゴールにしていると信じている。
世間の当たり前を自分自身もナチュラルに受け入れていて、「いや、治らなくていいいんです、うまく付き合っていきたいです」っていう本音が深層心理に埋もれてしまっている。だから「治したい」と願っているつもりでいて、自然と「治さない」選択肢をチョイスしているというね。
そういう事も大いに考えられるかなと。

まあ、いろいろ思いは巡りますが。
自分が本当はどうしたいのか、という自問が思考と行動のチグハグを解消してくれるのかもしれませんね。

とかく私は5キロ痩せたい。
今日の夕飯は、もやしラーメンにします。

管理人がクリニックの先生にオススメしてもらった本。パニック障害の基礎情報と治し方を知るのに最適です。

管理人まーる

パニック障害を克服した元商業ライター現医療機器系OL | 上級心理カウンセラー(民間)| 80年代生まれ | 旅行大好き | 乗り物・フルタイムのお仕事OKすこぶる元気 | 服薬・通院はしなかったためお薬には疎い

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