認知行動療法

「気を紛らわせる」事をやめる意味

こんにちは、まーるです。

(音声版はこちら↓)

私が認知行動療法をやる際に一番気をつけていた事は、「気を紛らわせない」事でした。

不安や恐怖から気を紛らわせるために色々やるっていう話はよく聞きます。例えばミンティアなどのミント系タブレットを持参するとか、お水を持ち歩くとか、スマホで動画をひたすら見るとか、誰かとずっとおしゃべりするとか。

そういう形で不安や恐怖から気を紛らわせようとするのは、わりとみなさんやりがちなのかなと思うのだけど、私はそれをやらないようにしていました。

というのもマニュアル本(←文末に紹介リンク貼ってます)にそう書いてあったんですよね。
気を紛らわせる行為(=「安全行動」)は症状を悪化させるのでやらない方がいいと。なので忠実にそれに従って、やらないようにしていたんですね。

例えば電車に乗る時、「とりあえずその電車に乗れればOK」というのであれば、その時出てきた不安や恐怖を気を紛らわせてやり過ごすというのは、テクニックとしてはアリだと思います。

ただ認知行動療法というのは不安や恐怖が元から出ないようにしていく訓練だから、不安や恐怖をその場しのぎでやり過ごすというのでは意味がないんですよね。あくまでも訓練であり、治療だから。

なので、安全行動についてはかなり意識してやらないようにしていました。
気を紛らわせない代わりに、やっていたのは呼吸法。

不安になってきたぞとか、発作が出てきたかもという時にはもう、ひたすらずっと呼吸法。呼吸に集中。
まあ、本にそうしろって書いてあったんで、素直にそうしたというだけなんですけど。

ミンティアやおしゃべりなど、何かを使って気を紛らわせるというのが習慣化してしまうと、一方でそれに依存してしまう事にもなりがちで。いざという時の「お守り」がないと電車に乗れないとか、外出できないとか、そういう事になってしまいかねないので。

お守りによる安心って、お守りが無くなる不安と表裏一体なんですよね。だから、実はいつまでも不安と隣り合わせなんです。

というわけで、もうほんと、ひたすら呼吸法をやっていました。

呼吸法自体が気を紛らわせる行為に入るんじゃないかと思ったりもしますが、ただ、呼吸に依存したところで何も影響ないですからね。呼吸って普段からいつも欠かさずやっている事だから。
なので、依存と結びつかないという点でも、安全行動とはある種の線引きができるだろうと。安心してやっていいと思います。

色々やってしまうと、それを卒業する一手間が掛かっちゃったりもしますしね。後々ちょっと大変ですよね。
だから安全行動をしないという心掛けは良い判断だったなあと、我ながら思います。

色々やらないってのが後々効いてくるんだと思うんです。
シンプル・イズ・ベスト、ですね。

そうそう、ふと思い出したんですけど、当時般若心経を覚えて、よく唱えていました。
仏に祈るという意味合いじゃなくて。唱える時に息継ぎを工夫しないといけないので、深い呼吸をする練習になるって聞いたんですよ。それで豆経本を買って、覚えて。

呼吸の練習になったかどうかは分からないけど、ちょっといい経験になりました。
今でも途中ぐらいまでは空で唱えられるかも。

般若心経の意味もまたいいんですよね。「結局どこにも私というものは存在しないのだ」という。ものすごい哲学ですよね。
和訳(というのか?)を調べてみるとおもしろいですよ。たぶんググったらすぐ出てきます。機会があればぜひ。

自我の拡大がけっこう大きなテーマかなと思ったりするんですね、不安障害って。
「自分」に意識が過集中してしまって、視野が針の穴のように矮小化してしまう。
自分がどう思われているかとか、自分をこうカタチ作らねばとか。自分の内側の痛みや違和感を、相対的に判断できなくなるというか。(要は、痛みや違和感にひどく過敏になっている感じ。)

だからこそ、「私」など存在しないという哲学はありがたいよなと。
そう思ったりします。
(おわり)

管理人がクリニックの先生にオススメしてもらった本。パニック障害の基礎情報と治し方を知るのに最適です。

管理人まーる

パニック障害を克服した元商業ライター現医療機器系OL | 上級心理カウンセラー(民間)| 80年代生まれ | 旅行大好き | 乗り物・フルタイムのお仕事OKすこぶる元気 | 服薬・通院はしなかったためお薬には疎い

-認知行動療法
-,