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【メンタルケア】私たちは概念を受け入れるために感覚を殺している

こんちには、あろはー。管理人まー、です。

養老孟司氏のYouTubeを見まして、深く感銘を受けましてございます。はふー。感動のあまり興奮した。

(これ公式チャンネルじゃないからオススメしづらいのだけど。)

いわく、概念というやつは平均化なのであると。

何でもかんでも平均値を取って概念化しているけれど、それって思考を単純化しているに過ぎなくて、つまりは人間がコンピューター化しているという事なのであーる、と。

化、化、うるせー文章になってしまった。「つまり」とか言ってる時点で、私も既に概念人間じゃないかと今ハッとしておるわけですが。

養老氏はもうちょいカジュアルにお話ししてくださっております。一度ご視聴おすすめします。

概念」の意味をググってみると、一番上に出てきたのがこれ。

言語表現における簡潔な内容のこと。認識した内容の大まかな、もしくは本質的な表現。ある程度の社会的共通性が認められる(低レベルではあっても客観性がある)場合に概念という呼称が用いられる。

https://ja.m.wiktionary.org/wiki/概念

いろんな物事に対して、「要するにこういう事でしょ」と大まかに定義したものって事ですよね。共通部分だけキュッとまとめて、いろいろ削ぎ落としたもの。言ってみれば、平均値合理化とも言えそう。

なるほどそうか、概念って平均値なんですね。言われてみれば確かにそうです。コンセンサスをとるために「とりあえずこういう事にしときましょう」って取り決めをしただけにすぎない。

愛とはこういうものだ、生きるとはこういう事だ、平和とは、平等とは、幸せとは、親とは、子とは。こういうものだから、そうあるのが普通なのだという、ある種の約束事。

文化が違えば概念は当然異なってくるわけだけど、そこでどうしても整合性をとりたいのが人間というやつらしく、互いに正義の概念をぶつけ合って戦争が起きたりするのでありまして。

昨今、運動会なんかでは順位を付けるか付けないかで賛否両論あったりしますが、これもまた「平等」とは何ぞや「競争」とは何ぞやの世界ですよね。概念のぶつかり合い。

個人的には、全員参加だから平等や競争の概念が悪目立ちするんじゃない? と思うんだけども。出たい人だけ出ればいんじゃね?と。参加の選択権があるならそれこそ平等だと思うし、競争したい人が自主的に競争し合うなら、その中では勝者敗者の概念すら別物になるじゃないかと。まあ個人的な意見は置いといて。

とかく人間は、概念でもって思考を単純化したい生き物のようなのです。

「これはこういうものなのだ」というのを飲み込んでしまえば、それについてはそれ以上考えなくて済みますからね。思考を停止させられる。

概念なんてのは、元来その程度のものなんですよ。思考停止したいがために生み出された仮初めのゴール。あくまで平均値であって誰にでも当てはまるものじゃない。「じゃあ平均的な人ってどれぐらいいるんですかね」って養老氏も言っておられたけど、結局「The平均」みたいな人って実はそれほどいないのじゃないかな。そう考えると、概念にカチャリと当てはまる人は非常に限られているのかもしれません。

自分が他人と違うのも当たり前だし、他人が自分を理解してくれないのも当たり前。

人は誰かの生き方をなぞる事はできないし、なぞる必要性もない。なぞって満足できるならいいけれど、なぞろうと必死になって心が壊れていくのでは本末転倒というのか何というのか。

概念を盲信してはいけませんね。概念とは別のものを行動理念にした方がいい。

そこで浮上するのが「感覚」というやつです。

養老氏が、方程式に出会って概念の壁にぶつかる子どもの話をしていました。

方程式って数式にアルファベットが入っているじゃないですか。「3x9」とかね。この場合x=3となるわけだけど、その答えを飲み込めない子どもがけっこういるみたいなんですよ。いやいやxはアルファベットでしょ、アルファベットが数字とイコールなんておかしいじゃない、と。

方程式も複雑になるほどにアルファベットが増えてきて、最終的に解が「A=B」みたいな事になったりする。そうなるとますます飲み込めない。いやいやいや、ABが同じならもう何でもありじゃん、と。

ここで子どもたちは「これはこういうものである」という概念に遭遇しています。だけどしっくりこない、どうにも納得できないという子どもが一定数いる。これって単に勉強ができないからというわけじゃなくて、いわく、概念に「感覚」がフィットしないっていう事だったりするんだとか。

感覚が優位だと、概念に違和感があるんでしょうね。逆に概念を飲み込むためには、感覚を押し殺す必要がある

社会は概念まみれです。概念優位の世界でお利口に生きていくために、あらゆるタイミングで感覚を殺していかないといけないわけで。私たちの感覚はすっかり萎えてしまっているんだろうと思います。

「人間ってこういうものですよ」「幸せってこういうものですよ」「親と子はこうあるべきですよ」「成功ってこういう事ですよ」の概念に、「え、そうなの? 私には当てはまらないかも。私はそうは思えないんだけど」という感覚で対峙するために。いや、対峙してなおかつ、その感覚が自身にとって概念より大切なものだと思えるようになるために。

私たちは失った感覚を少しずつ取り戻していく必要があるんじゃないかと思うわけです。

感覚を取り戻すには、どうすればいいか。

やっぱり自然に触れる事だと養老氏は言っています。激しく同意。自然に触れて、熱い、冷たい、やらかい、固い、爽やかな匂い、甘い匂い、乾いた風、湿った空気を感じること。なんとも言えない気持ちよさがありますよね。なんとも言えないというのがつまり、概念から遠ざかっているんだと思います。

あと普段の暮らしの中でも、ささやかな違いを楽しむことはきっと大切です。例えば、ネーブルオレンジと清見オレンジを食べ比べてみるとか、アロマオイルを色々ブレンドしてみて、1番好きだなーと思う香りを模索してみたりとか。

ささやかな事になかなか目が向きにくいと思うんです、不安障害の時は特に。

だから最初はわかりやすいところから入るといいんじゃないかな。海とかおすすめですよ。海で裸足になって足先だけでも浸かってみてください。感じられること、たくさんあります。ヒヤッとする感じ、それに少しずつ慣れてくる感覚、砂に沈む感触、潮の匂い。

あ、ちなみに私は方程式めちゃんこ得意でした。概念をわりかしすんなり飲み込めるタチなんですな、私。人より概念優位になりがちなのかもしれないから気をつけないとなー。

それにしても養老孟司氏のYouTube(公式チャンネル、おすすめでっせ。時々めちゃグッサリ刺さって、はふーってなります。お時間あればぜひ。

(おわり)

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