コラム

【パニック障害】しくじり先生 俺みたいになるな!! 管理人まーのアピール地獄ばなし

こんにちは、あろはー。管理人まー、です。

プロフィールにも書いたりしてますが、私ほんとに見栄っ張りだったんですよ。見栄が服着て歩いてるレベル。

見栄っつっても色々ありますが、お金もないのにブランドもので着飾ったり高い車乗ったり的なセレブ自慢タイプじゃなくて、友だちたくさんいるもんね、他の人とは着眼点が違うんだもんね的なエセ自由人タイプのやつでした。

見栄っ張りな私がパニック障害になるまで

フェイスブックではもちろんフレンド数、命。コミュニティーで知らない人に絡みまくってまでフレンド増やそうとしたり。

旅先とかでちょっと知り合いになっただけの人を、めっちゃ仲良くなった感じで投稿してみたり。(今思えば相当恥ずい。)

あとソロ旅、ソロ飯などなど、1人でできるもんアピールとともに、1人が落ち着くんだもんアピール。深掘りすれば、友だちいないんじゃないもん、1人が好きなんだもんアピールとも言える。(どこまでも恥ずい。)

旅がほんとに大好きで、267歳辺りから数ヶ月の長期旅行を繰り返していたのだけど(短期派遣で旅費を稼いでいた)、それすらもう本当に純粋な旅好きなのか分からなくなってきました。

今思えば、ただ自由を愛してるんだもんアピールだったんじゃなかろうかと。

なんせ、旅先からも逐一「楽しんでまーす」な投稿してましたからね。Wi-Fi命。旅ブログも毎日更新してました。現地で知り合った人に「投稿すんの早すぎ」ってちょっと引かれました。そら引くわ。

自由を愛するのはいいとしよう。しかしそれをアピールするのはいかに。これまた深掘りすると、自由を愛してる = 一般的な社会生活からは「自らの意思で」距離を置いているっていうアピールだったんじゃないかな。

私、映画学校に行ってたんですよ。大学中退して。映画監督になるのが夢でした。

結局なんだかんだでテレビ業界に流れ、紙媒体に流れ、最終的にはぜんぶ辞めました(それ以来、派遣&旅を繰り返す生活)。まあ、つまりは夢破れたわけです。挫折。

それをちゃんと認めたくなかったんだろうな。

自分の意思で社会から離れたんだって事にしときたかったんだと思う。「本気出したらまだやれるもん」って事にしときたかった。

今思えばね。当時はもちろんそんな自覚はありません。ただアピールに必死。アピールに必死だという自覚すらなかったです。思い込んでました、根っからの自由人だと。人見知りで人付き合いが苦手なのも、アウトローな変わり者ゆえだと。

ま、本当の自由人は旅先でフリーWi-Fiあらば即タイムライン投稿とか、そんなのしねーと思います。

そんな調子で三十路を迎え。

周りもどんどん結婚して家庭を持ちはじめ。

いよいよ「自由人です」では乗り切れない状況になってきたのを肌で感じつつ。でもここまできたら意地で自由人貫き通すしかなかったんですよ。ますます長期旅行に拍車がかかってしまいました。愛しいぐらいの逆走ちゃん。

で、醜形恐怖発症。からのパニック発作。

今思えば、なるべくしてなったような気がしてなりません。とほほ。

愛される価値がないという烙印を焼きつけてきた犯人は誰か

あれから数年。回復してからはかれこれ34年経つでしょうか。あの頃の事を俯瞰ふかんで眺めてみましょうか。さて。見栄っ張りな私の何がいけなかったのか。

要するに見栄を張るってのは、自分の事を愛していないって事なんだと思うんです。

すべてをとっぱらったありのままの自分なんて、誰も相手にしてくれないと思い込んでる。だから虚勢を張る。

何よりも悲しいのは、見栄を張るたびに「本当のおまえなんか誰も興味ない、愛される価値がない」という烙印を、自分自身に焼きつけ続けていたんだっていう事。自分を貶め続けてきたのは、誰あろう自分自身だったんだって事。

あと、当時の私は何かと怒りっぽくてね。他人にアドバイスされたり意見されたりすると、イラッとしてシャットアウトしがちだったんですよ。愚かで恥ずかしいのだけど。

結局それもまた、自分を愛していないというところに行き着くんだと思ってます。

異なる見地を受け入れず変化を拒絶するというのは、自分自身を狭い檻の中に閉じ込めているみたいなもんですもんね。言い方はキツいけど、虐待ですよ。セルフ虐待。

気付きました。

そうか。正直であるという事、自分に嘘をつかないという事、視野を広く持つという事は、つまり自分を愛するという事なんだ。

パニック障害になって、自分を見つめ直して、ようやくそこにたどり着いたのでした。

声高にアピールすることは、自分自身への刷り込みでもある

本当に自分が好きなことは何だろう。偽りのアピールじゃなくて、自分が心底胸躍るものは何だろう。

改めて考えてみたら、やっぱり思い浮かぶのは「旅」です。どうやら旅はやっぱり好きみたい。

だけど貯金を切り崩して海外に長期滞在し、隙あらば自由人アピールをしていたあの頃の旅行スタイルはもうお腹いっぱい。まるで何かに取り憑かれているみたいだったもの、今思えば。

というか本当に純粋に好きだった旅を、単なるアピール材料に至らしめていたんだと思うと、つくづくひどいなと。心をとことんないがしろにしてたんだなあ。いとかなし。

こうして考えてみると「アピール」って、ひとつの指標になるんじゃないかしらと思うんですよ。意識的にあるいは無意識にアピールしてしまう事って、本当は自分自身に言い聞かせているだけなんじゃないかなあ。心のどこかで違和感を抱いているからこそ声高に主張しちゃうんじゃないかな。

例えば、過去のトラウマの話を繰り返してみたりするのは「自分は不幸なんだ」って自分に言い聞かせているんじゃないか。「私病気だから」とか「コミュ障なの」とか「私ってサバサバ系じゃん?」とか、必要以上に自分を卑下するのとか。

一方「幸せなの」アピールもまた自分が1番そう信じたいんだと思う。「私打たれ強いから」とか「ストレス溜めないタチなんだ」とかもきっとそう。違和感抱きながらも言い聞かせてうやむやにしたいんだと思う。何度も言い聞かせて、もはや違和感すら麻痺しているのかもしれないけれど。

不幸だとか幸せだとか、そう感じるのは分かる。なかなか治らないなあと思って落ち込むのもよく分かる。(私もそんな事ありました。)だけどそれをアピールする事に執心しだすと、たぶんそれは自分を騙しにかかってる。自分の本心をぞんざいに扱っている。その裏返しなんだろうと思います。

「変わる」ことは単なる「選択」、自分次第でいつでも変われる

でもそれって一体何のため?

自分を騙してまで守りたいものって何?

いろいろあるんだと思うんだけどね。

もしかすると、ふかんで眺めたら絶対にこっちの方がいいのに、目の前の不安や恐怖に負けて違う方に流れてっちゃうような事かもしれない。あるいはまた別の事かもしれない。

私の場合だったら、もしかすると変わるのが怖かったのかもしれない。変わったら、それまでの人生を全否定する事になる気がして。

でもね、自分の人生を始まりから終わりまでひとまとまりに眺める時期が来た時、つまり死を迎えた時にね、あーあの頃どうして些細な事にこだわって本心に嘘をついたんだろう、どうして素直な心に従わなかったんだろう、どうして幸せから目を背けたんだろう、って後悔する事にならないように。

愛せよ、自分。なのだなと。

ついアピールしちゃう事に注目。なのだなと。

大局観。なのだなと。

ちょっと待って。「自分は不幸なんだ」って思い込みたい人なんているはずないじゃん。と思うかもしれません。でも私はあると思う。なんかよく分かる。

それは不幸な自分でなきゃ注目されないと思っているのかもしれないし、不幸な自分を誰かに見せつけたいのかもしれない。あるいは不幸でない自分が想像できないだけかもしれない。なんにせよ不幸アピールもある意味、理にかなってると思うもん。

さーて。ここまで書いてきて、しくじり先生みたいやないかーいとセルフ突っ込みしました、今。ブログタイトル急きょ変更しました、今。

ほんと。俺みたいになるな、ですよ。パニック界の反面教師とは私の事です。マネしないでね。

しかしそんな私も、パニック障害のおかげで軌道修正できました。

「人はなかなか変われない」なんて嘘ですよ。

「変わる」事は「選択」です。自分にしかできない選択。歩く方角を1mm変えてみるだけでいい。そしたら何年後か先に全然違う場所に辿り着くから。

ま、そんなこと言いつつ私もまだまだ修行中ですけどもね。自分愛し、絶賛がんばり中です。これからはいっそう愛でて愛でて愛でたおしてやろうと思います。(おわり)

ここに記載の治療法や対処法は、あくまで個人的見解に基づいています。 効果の有無や程度は保証できませんので、ふーん、そういう事もあるんだねー、ぐらいの感じでご理解いただけると幸いです。
ブログ管理人の自己紹介とパニック障害の経緯などはコチラ→「ごあいさつ

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