どうでもいい話 Vol.2 「藤井風という男を知っているか」

こんにちは、あろはー。管理人まー、です。
テレビを観ない日々が、かれこれ3年ほど続いております。いや、ときどきは観ます。フィギュアスケートの試合と大型旅番組。YouTubeはかなり観ます。なので、映像自体から遠ざかっているわけじゃないのだけど。
1年ぐらい前ふと見つけたのですよ、YouTubeで。藤井風という男を。
あご外れました。ショックめいた、ある種の感動を覚えましたね、ほんと。
田島貴男みたい、と思いました。「接吻」の。「プライマル」の。好きだったんだ、オリジナルラブ。
声は田島貴男みたいだが、顔は尾崎豊みたいだ。なんつーか、昭和のこってりした男前。
原石を発掘したような気がしてホクホクしてみたものの、どうやら彼は10年前から動画配信しているようなので、古参からすれば「今さら何言ってんの」なのでしょう。ともあれ、知れてうれしい。
しかしまあ、そんな時代ですよ。
ひと昔前ならメジャーデビューが登竜門だったのかもしれないけれど、今やビデオカメラさえあれば、いやもうスマホさえあれば自分で舞台を用意できちゃう時代。
とかそんな事言うこと自体、もはや今さら感があるものね。そんな時代ですわ。
YouTubeと言えば、最近ステキな英語学習系のチャンネルを見つけたのですよ。
何気なく観ていて、ふと気が付きました。
チャンネルの主が、20年前に買った英会話本の著者だということに。
本を買った当時、まさか20年後に動画のコメ欄を通して著者と会話することになろうとは思いもしなかったわけで。いやはやこれも時代の賜物。
もう、出版社だとか事務所だとかスタジオだとかの仲介なしで、一足飛びに発信者と受信者が繋がれる時代なんですよね、今さらながら。
今までは、テレビ局だとかの制作会社が取捨選択して作品の評価をある程度方向づけしていたわけでしょう。これは「オモシロイもの」ですよ、とか「カワイソウなもの」ですよ、とか「シンジラレナイもの」ですよ、とか。
その仲介役が決めた方向性を私たちはただなぞるだけだったわけで。
だけどそのワンクッションがなくなった今、取捨選択と評価は丸ごと受け取る側に委ねられる。そりゃ生まれますわ、責任。放つ側にも、受ける側にも。
近頃なにかと世知辛いなあと思う事が多いけれど、少なくともこういうとこだけは良い時代だよなと思います。
子どもたちの将来の夢は今や「ユーチューバー」が圧倒的人気だとか。ええやないか、どんどんやれ、ぱふぱふどんどん(←昭和)。
浅はかだけど、それだけにとどまらないチカラがあるよ、この媒体には。キャッチーでミーハーな空気の裏側に、生の情報を発信する事の意義、それを直接受け取る事の意義があると思う。
わたしも今の時代に生まれたかったな。そんでユーチューバーになりたかった。と、ちょこっと思ったりする今日このごろです。
ところで、ふとB’zの初期を思い出しました。なんでだか。藤井風のそこはかとない昭和感に触発されたのかもしれない。で、「BAD COMMUNICATION」の動画を観てみたの。
クネクネしてた。すごく。松本さんも一緒にクネクネしてた。コメント欄はざわざわしておりました。
そういや当時みんなクネクネしてたよ。そんな時代でした。なんか良かった。80〜90年代。
最近の曲もわりと90年代っぽい気がするんだ。メロディアスな感じ。キングヌーとか髭男とか。
時代は巡ると言うけれど、よもや90年代のあの感じが再びフィーチャーされる時代が来ようとは。
ファッションもね。ブランドロゴのトレーナーとかハイウェストのデニムとか、あげくシャツをパンツにインしたり。2000年代にはそんなのひたすらダセーとしか思えなかったのに、今はかわいいもんね。不思議なもんです。
あ、でも90年代ってよく考えたら昭和じゃなくて平成だわ。平成初期って、やっぱり昭和感あるよな。
などという、ふわっとした時代考察。おそまつ。(おわり)